「 恩寵の舟 」2016年09月01日 13:39

「 恩寵の舟 」


  むかしむかしのことで恐縮ですが
  どうか老人のひとりごととご寛恕ください
  今は昔の昔 わたしは高校生でありました
  学業はかばかしくなく 理屈ばかりが先行し
  若い男の子でありましたので
  恥ずかしながら性の苦しみにいたぶられるなど
  おのれの若さに小突かれ翻弄され
  友人たちと馬鹿騒ぎをしても
  親の目を盗んで悪ふざけをしてもいっこうに心は晴れません
  すべてが可能であり一切が不可能な壁と立ちはだかる
  世の中が蕁麻(イラクサ)覆う荒れ野ばかりに見えました
  まぁ 普通の平均的な男子高校生であったとご覧じください


  その高校生が 夏休みのある日 
  奇特にも英語学習誌をくっておりました
  雑誌の巻末に一篇の詩が掲載されておりました
  白い帆をあげ沖を疾走する小舟の詩でありました
  原詩に訳詩がそえてありました
  小舟ではなく普通の船であったかもしれません
  あるいはヨットであったかも いえいえ
  白い帆などあげていなかったかもしれません
  これこのように
  思い出そうとすればするほど
  壁からタイル一枚一枚はげ落ちてゆくように
  記憶は怪しくなるばかりなのであります


  それでも偶然目にした詩に心うたれたということだけは
  決して抜け落ちぬくさびとなって
  わたしのこころを穿つ聖痕さながら残されました
  詩句のひとかけらだに留まっていないというのに
  その一篇に感動し ことばの造型に感激し
  感動がなおとどまり続けているという不思議
  その面立ちのひとつ思い返すことのできないのに
  偶然出会ったすてきな少女にいつまでも心奪われ続けているような
  高速の車窓から一瞬に過ぎ去った景色の
  みごとな美しさにこころ深く囚われてしまったような
  いえいえ このような貧しいたとえなどでは
  とても値(アタイ)いたしません


  わたしたちには起こりうるのです
  有無をいわさずわたしたちを地の面に押さえる強靱な力から
  わたしたちをつかのま放免する不思議が
  わたしたちには起こりうるのです
  うだる夏の日が教えてくれたのです
  おのれの熱で燃えてくすぶる夏の日が教えてくれたのです
  何に向かっても苛立ち
  何に向かって怒ってよいやら判らずに
  擦過傷だらけで荒み倦んじていたある日
  たまたま広げた紙の海をどこまでも走り抜けていったもの
  あの日少年は何かを見つけたのです
  あの日ぼくは何かと出会ったのです


  それが何であるか理解できずとも感じとったのです
  何が書かれてあったか 
  もはや定かではなくとも
  それはそこにあり 
  そこに現れたのです
  ことばによって導かれ
  ことばを越えてなお存在せざるをえないもの
  恩寵という名の慈しみとの邂逅
  その感動はさらに深まって今なお わたしを誘(イザナ)うのです


  どこに誘われているかですって
  おお どうしてそのことが
  わたしごときにわかることでありましょう



  ※(補註)
 「魂の本性的なうごきはすべて物体の重力の法則に類似した法則によって支配されている。
  恩寵だけは例外でありうる。」シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』より渡辺義愛訳


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つれづれにしたためた作文を投稿させていただきます。本人は「詩」を書いているつもりですが,、恥ずかしながら「詩」とは何かがわかっているわけではありません。

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