最近のできごとから 伝統の性差別 ― 2018年04月06日 14:21
「本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。
市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。
とっさの応急措置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。
応急措置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が「女性は土俵
から降りてください」と複数回アナウンスを行いました。
行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切
な対応でした。深くお詫び申し上げます。 」
4月4日づけで、公益財団法人日本相撲協会 理事長 八角信芳 が謝罪している。
この期におよんでも、「人命にかかわる状況には不適切」とこの男、寝ぼけたままである。
土俵とは、「神聖」なエリア、結界だ。
その神聖な場所に、おんなが立ち入ることは論外である。
なぜなら、おんなは穢れた生き物である。けがれである。
汚れた生き物によって聖なる土俵がふみにじられてはたまらん。
そのような穢れから土俵を守りぬくことが日本相撲協会のつとめであり、伝統である
今回の場合は、仕方がなかった。やむを得なかった。
でも、なるべくなら避けてほしかった・・・というホンネが遠慮なく露わである。
土俵の女人禁制。 この愚かで、21世紀世界における恥ずべき「伝統」。
アルカイダ、IS、エジプトもビックリである。
これが「日本」の「国技」のコンモトにある価値観のひとつである。
そのことを八角信芳は全世界にあきらかにした。
女性蔑視という男根権威主義は、相撲ばかりに限らない。
かの古代オリンピックでは女人禁制の競技大会であった。
近代オリンピックを提唱したかのクーベルタンは、
「オリンピックに女性を参加させることは、非実際的、退屈、不愉快、不適当である
と公言して憚らなかった。
(* Y. P. Boulongne, “Pierre de Coubertin and Women’s Sport,”)
(ジュールズ・ボイコフ『オリンピック秘史』所収)
また、クーベルタンの後継者となったブランテージも
「古代ギ-シャの女性は競技大会への参加を禁じられていた。見物することさえ許されな
かった。
断言はできないけれど,それで正しかったのだ」。 (同上『オリンピック秘史』所収)
権威主義と性差別との強固な結びつきは、その正体を隠すために、「伝統」とか「慣例」とかの没主体的な価値観を援用しながら形成され、保持されるものだ。
おとこよ何を守り、女性に何を押しつけたいのか?
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